北条時行 | 台灣咖啡館
北条時行(ほうじょうときゆき/ときつら)は、鎌倉時代末期から南北朝時代の武将。鎌倉幕府最後の得宗・北条高時の遺児。先代の武家の筆頭である高時と ...
北条 時行(ほうじょう ときゆき/ときつら[注釈 3])は、鎌倉時代末期から南北朝時代の武将。鎌倉幕府最後の得宗・北条高時の遺児。先代の武家の筆頭である高時と室町幕府創始者当代の武家の棟梁である足利尊氏との中間の存在として、中先代(なかせんだい)とも呼ばれる。
建武政権期、北条氏復興のため、鎌倉幕府の残党を糾合して建武2年(1335年)に中先代の乱を引き起こし、足利直義を破って鎌倉を奪還するが、わずか20日で尊氏に逐われた。南北朝の内乱(1336年 - 1392年)では、後醍醐天皇から朝敵を赦免されて南朝方の武将として戦った。延元2年/建武4年(1337年)から翌年にかけては、鎮守府大将軍北畠顕家や新田義興(義貞の子)と共に足利家長(斯波家長)を討って自身にとって2度目となる鎌倉奪還に成功し、顕家の遠征軍に随行して青野原の戦いで顕家らと共に土岐頼遠を破った。ところが、遠征軍は和泉国(大阪府)で行われた石津の戦いで執事高師直に大敗、遠征軍の長の顕家は敗死したものの、時行は生き残った。のち正平7年/文和元年(1352年)、時行は再び義興らと共に武蔵野合戦で戦い、初代鎌倉公方足利基氏を破って3度目の鎌倉奪還を果たした。しかしこの奪還も短期間に終わり、逃走を続けるも、翌年、足利方に捕らえられ、鎌倉龍ノ口(神奈川県藤沢市龍口)で処刑された。
誕生[編集]鎌倉時代末期、鎌倉幕府の事実上の支配者北条氏の嫡流である得宗家の当主北条高時の次男として誕生。母は、軍記物語『太平記』の流布本第10巻「亀寿殿令落信濃附左近太夫偽落奥州事」では、高時の妾(側室)である二位殿と伝承されている[4]。『太平記』の古い写本の中には「新殿」とするものもあり[注釈 4]、『太平記』研究者の長谷川端は、新殿が本来の表記であり二位殿は当て字であるとしている。
時行の生年に関しては不明であるが、兄の北条邦時が正中2年11月22日(1325年12月27日)生まれなので[6]、それ以降ということになる。また、元徳元年(1329年)12月22日付の「金沢貞顕書状」には、高時に「今度御出生の若御前」がいると書かれており、これが時行のことであれば元徳元年(1329年)...
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