足利尊氏 | 台灣咖啡館
幕府滅亡の勲功第一とされ、後醍醐天皇の諱・尊治(たかはる)の偏諱を受け、高氏の名を尊氏(たかうじ)に改める。鎌倉時代の足利宗家当主の通字は「氏」で ...
「足利高氏」はこの項目へ転送されています。後に第3代古河公方となった足利高氏については「足利高基」をご覧ください。足利 尊氏(あしかが たかうじ)は、鎌倉時代末期から室町時代(南北朝時代)前期の武将。鎌倉幕府の御家人。足利貞氏の次男。室町幕府初代征夷大将軍[2](在職:1338年 - 1358年)、足利将軍家の祖。姓名は源尊氏(みなもと の たかうじ)。
河内源氏義国流足利氏本宗家の8代目棟梁。足利貞氏の次男として生まれる。歴代当主の慣例に従い、初めは得宗・北条高時の偏諱を受け高氏(たかうじ)と名乗っていた。共に鎌倉幕府を打倒した新田義貞は同族である。元弘3年(1333年)に後醍醐天皇が伯耆国船上山で挙兵した際、その鎮圧のため幕府軍を率いて上洛したが、丹波国篠村八幡宮で幕府への反乱を宣言、六波羅探題を滅ぼした。幕府滅亡の勲功第一とされ、後醍醐天皇の諱・尊治(たかはる)の偏諱を受け、高氏の名を尊氏(たかうじ)に改める。鎌倉時代の足利宗家当主の通字は「氏」であったため、室町幕府の将軍15人の中で唯一「義」の字が名に使われていない。
後醍醐天皇の新体制である建武の新政下で、公卿西園寺公宗の反乱計画発覚など政情不安が続く中、鎌倉方の残党北条時行が起こした中先代の乱により窮地に陥った弟・足利直義救援のため東下し、乱を鎮圧したあとも鎌倉に留まり、恩賞を独自に配布した。これを独自の武家政権を樹立する構えと解釈した天皇との関係が悪化、建武の乱が勃発した。箱根・竹下の戦いでは大勝するが、第一次京都合戦および打出・豊島河原の戦いで敗北し、一時は九州に都落ちしたものの、再び太宰府天満宮を拠点に上洛して京都を制圧、光明天皇を擁立して征夷大将軍に補任され新たな武家政権(室町幕府)を開いた。一度は京に降った後醍醐天皇は、すぐ後、吉野に脱出し南朝を創始することになった。
幕府を開いてのち、是円・真恵兄弟らへの諮問のもと、その基本方針となる『建武式目』を発布。幕政の初期は隠退して、弟・足利直義が事実上の指導者となった。保守派で鎌倉幕府の伝統的法令を取り入れた直義に対して、尊氏の側近である執事高師直は建武政権の先進的法令を取り入れた革新的な改革を行った。後醍醐天皇の崩御後は、その菩提を弔うため天竜寺を建立した。その後、尊氏・師...
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